谷垣雄三のプロフィール!妻や子供は?出身高校や大学もリサーチ!

谷垣雄三(たにがき ゆうぞう)さんをご存知でしょうか?

既にお亡くなりになられていますが、

国民栄誉賞級!?

級の偉業を残したという事もあり、

今回、「世界ナゼそこに?日本人」でご紹介されます。

どんな凄い事をやられたかたなのか気になりますね!

それでは早速、谷垣雄三さんをリサーチしたいと思います!

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プロフィール

谷垣雄三さんは1941年、京都府京丹後市峰山町生まれで、地元の小・中・高校で育ちます。

曲がった事が大嫌いで、みんなのリーダー格だったそうですよ!

もともと高校時代から医師として海外で働くことが夢だったそうです。

そして困っている人を助けたいという強い思いから医者をめざし、大学は信州大学の医学部に進学します。

昭和54年(38歳の時)に奥さんを説得して、石油会社の産業医として、単身でニジェールに1年半滞在します。

そして日本に帰国するのですが、谷垣雄三さんの中でニジェールの医療の現状をみて、なんとかしたい!

という想いが出来ます。

そして、再びニジェールでの医療に携わる事を考えて、帰国後は、フランス語の研修を積みます。

ニジェールはフランスの植民地だったこともあり、公用語はフランス語です。

フランス語を勉強したのはその為です。

そして再度、奥さんと同伴でニジェールに向かいます。

ところで、ニジェールとは一体どんな国なのか説明しましょう!

ニジェールには国土の3分の2がサハラ砂漠になっています。

世界有数のウラン産地ではあるのですが、世界の最貧国の一つです。

平均年収は日本円にしてわずか1万円という事で、その貧しさが解るかと思います。

また医療機関が非常に乏しく、日本の20分の1だそうです。

また地方には医療機関が無く、

地方に住んでいる人は、医療機関のある都市まで何日も移動しなければならず、

手遅れになり、助かる命も助からない現状があります。

それがニジェールの医療の現状です。

そういった医療状況を打開すべくなんとかしなくては!

と言う強い気持ちで、ニジェールで医療に従事してきました。

谷垣雄三さんは援助に頼らずに、現地の人でも支払う事が出来る「自立した外科医療」を目指していました。

例えば、医療にかかるあらゆる消耗品や器具などのコストを抑える努力をされてきました。

しかし、ニジェールは「退避勧告」 している程の危険地帯です。

そんな地域にも関わらず自分の危険を顧みず、ニジェール医療の発展の為に頑張ってこられたのです。

また、谷垣雄三さんの素晴らしさはこれだけではありません。

自分の財産の8千万円を投げ打って病院を建設します。

ニジェールに30 年以上滞在していた谷垣雄三さんですが、途中つらいこともありました。

単独派遣という待遇をJICAから受けていたにも関わらず、JICAの規則により打ち切られたこと。

そして最愛の妻が亡くなってしまったという事です。

この様な状況にも負けず、谷垣雄三さんはニジェールの人たちを救い続ける為、ひたすら努力を続けたのです。

しかし、76歳でニジェール南部テッサワの自宅でお亡くなりになられています。

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妻や子供は?

谷垣雄三さんには妻や子供がいるか気になりますね!

谷垣雄三さんが、29歳の時に学生運動の時に知り合った静子さんと結婚します。

奥様は、既に1999年5月23日に原因不明の高熱でお亡くなりになられているそうです。

子供に関しては、一切情報がありませんでした。

もしかしたらお子様はいらっしゃらないかも知れませんね!

出身高校や大学もリサーチ!

谷垣雄三さんの学歴が気になりますね!

高校については公表されていませんので、解りませんでしたが、地元の高校を通っていたそうです。

1961年に信州大学医学部に入学して、1967年に卒業しています。

実は国家試験を在学中に受験せず、卒業後の1970年に医師免許を取得しています。

その後は町の病院を中心に様々な医療を学び経験してきました。

最後に

今回は谷垣雄三さんについてご紹介しました。

現地の人は谷垣雄三さんの事を「タニ」と呼んで親しんでいました。

谷垣雄三さんは既にお亡くなりになられていますが、谷垣雄三さんの功績は非常に意義がありますね。

並の人間では出来ない事ですから!

また、ニジェールの人たちの為に、コストをかけずに、

貧しい人たちの為に手術をして、多くの命を救っています!

この偉業は将来に渡ってずっと残る事でしょう!

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