「リリィ・シュシュのすべて」「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」などで有名な岩井俊二監督の作品、「リップヴァンウィンクルの花嫁」について解説しています。
作品のネタバレ・相関関係・原作小説について書いていますのでこれから作品を観る予定の方はご注意ください。
リップヴァンウィンクルの花嫁は怖い?
映画「リップヴァンウィンクルの花嫁」は、決して怖いストーリーではありません。
岩井俊二監督の作品は大きく分けて「ほの暗い話」「優しく温かな話」のどちらかである事が多く、その表現方法が独特な事でも有名ですが、今回の作品についてはどちらかというと「優しく温かな話」の方に分類されると言えます。
その理由は、この作品が制作された経緯と、この映画のストーリーから連想されるメッセージにあります。
岩井俊二監督は、国内で様々な活動・作品制作を通し有名になった後、2005年からロサンゼルスに拠点を移しています。
しかし、2011年3月11日に起こった東日本大震災をきっかけに、直後の4月に帰国。
そして日本での撮影・作品制作を再開しています。
日本にいる家族、宮城には親族や友人も多く、被災した土地の光景や状況を目の当たりにし、震災と向き合いながら傷付いたこの土地で撮影をという思いから再開に至ったと語られていて、この作品の他にも復興支援ソングの制作やドキュメンタリーの制作など、積極的に復興に携わっています。
この作品が公開された時、岩井監督は3.11後の日本についてしきりに口にしていたのです。
表現者の方から直接その作品の意図やメッセージについて言葉で語られる事はなくても、作品の公開に合わせて伝えているキーワードや自身の思いは、作品に込められた思いと通ずる部分があると推測できます。
また、ストーリー中には異様な光景に映るシーンや、人によっては痛々しく感じるようなシーンもあるのである意味怖いと捉えられるかもしれませんが、私はこの作品の主人公の七海は「残された側」の人間でもあり、だからこそ最終的に幸せを知ったのではないかと感じました。
この作品の根底には「自分が自分として幸せになれる未来のこと」が描かれているのではないかと、そう考えています。
リップヴァンウィンクルの花嫁のネタバレ
皆川七海はSNSで普段の自分では言えないような事を日々つぶやいていました。
七海はお見合いサイトで出会った鶴岡鉄也と交際を始め、結婚します。
鉄也との結婚式について、自分側の招待人数が少なすぎ困った七海はその事をSNSにこぼしていました。
すると、ランバラルというアカウントから「なんでも屋」安室行舛を紹介され、結婚式の代理出席サービスを利用します。
ある日部屋で自分のものではないイヤリングが落ちているのを発見し、鉄也の浮気を疑い安室に相談しますが、反対にハメられてしまい、安室と鉄也の母の陰謀で、まんまと七海は離婚されてしまいます。
すべてを失った七海は、今度は自分が安室に雇われる側としてバイトを引き受ける事にします。
安室から紹介された結婚式の代理出席のバイトの中で出会った真白と意気投合しSNSのアカウントも交換した七海ですが、真白はそのままいなくなってしまいました。
次に紹介されたバイトは、月100万円で雇われる住み込みのメイドのバイトで、七海は引き受ける事にします。
安室に連れて行かれた場所は大豪邸で、メイドのバイトは七海ともう一人、真白でした。
再会を喜んだ七海でしたが、屋敷の所有者であり今回の依頼のクライアントは実は真白でした。
真白は、稼いだお金でこの豪邸を借りているといいます。
体調も優れずその身体はガリガリです。
末期ガンに侵されていました。
後日、真白を心配した七海の提案で七海と二人で別の物件を借りる事にし、その帰りに二人でウエディングドレスを着て、教会でプレ結婚式をの撮影をしたり、車で帰りさらに食事をして、そのままベッドへ寝転がり、心中を誓った後にキスをします。
真白は自分と一緒に命を絶ってくれる人を探して今回の依頼をしていましたが、真白はその夜に自ら命を絶ち、七海は翌朝生きていました。
真白の葬儀の後、七海は一人暮らしを始め、安室は七海に最後の給料とともに、いらない粗大ゴミの家具を持ってきて譲ります。
七海の世界は、光に満ちていました。
リップヴァンウィンクルの花嫁の相関関係
七海と鉄也
二人はお見合いサイトで出会い、すぐに同棲生活を始め、結婚します。
七海は「簡単に手に入ってしまった」「相手もそうなのでは」とSNSで吐露していますが、そのアカウントを七海とは知らず見ていた鉄也は「こんなことフィアンセに言われたら嫌だわ」と言い、離婚の話になった際にも鉄也の浮気は無実で七海が思っていたよりは七海の事を好いていたのではと感じますが、結局は七海自身が上辺だけの関係にしてしまった気がします。
一方で鉄也も、七海の振る舞いや気持ちを本当に理解する事はなく、日頃のやりとり含め七海に対しての執着はさほど感じられませんでした。
七海と真白
最初に二人が出会ったのは偶然でしょうが、二人の出会いの場であったバイト先では、誰もが別の人を演じている代わりのいる世界でした。
そこから、二人はそれぞれありのままの自分として交流を深めていて、SNSのアカウント交換までしているという点からもそれが描かれています。
不思議な形ではありましたが、お互いが「自分のまま自分として幸せでいられる」喜びに気付けた存在なのではないでしょうか。
だからこそ真白は当初道連れにする予定だった七海に手を出さず、一人で命を絶つことを選んだのだと思います。
言葉では形容しがたい二人の関係ではありましたが、あえて言葉にするのであればきっと「愛」ですし、それはもっと人間の根底にある「自分でいてもいいんだ」という一種の存在を許される喜びを共有できた関係なのではとも思いました。
七海と安室
この二人の関係性が一番読み説くのが難しく、映画を観た人によって捉え方が変わってくるのではないかと思います。
七海がSNSに吐露した「披露宴の招待人数が足りない」という事に反応した安室に、七海が依頼する事が発端でこの二人は映画の最後までつながりのある関係となります。
しかし、基本的には安室は何でも屋としてのプロ根性を貫いていて、七海がひどい目に遭おうとお構いなしで言葉巧みに七海を利用し、仕事を依頼します。
しかしその性格もあって、七海は安室の事をやたらと信用しているようにも思います。
安室も安室で、最後には新たな仕事の依頼はせず、彼女の新たな生活を後押しするかのように、処分予定の家具などを譲ります。
七海と真白それぞれに感化されて、気が変わったところがあったのではないかと思っています。
リップヴァンウィンクルの花嫁の原作
元々映像化をする予定で制作されているだけあって、映画と小説ではセリフや筋書きに大きな相違はありません。
しかし、映画では収まりきらない背景や設定はより丁寧に描写されていて、より作品の世界観やメッセージを楽しむ事が出来ます。
映画を観ても、色々な考察がネット上で飛び交うのが頷けるほど、解釈が視聴者にゆだねられる作品でもあると感じますので、小説も一緒に読んでさらに考察してみるというのも良いですね。
物語のある意味ストーリーテラーのような役所である安室については、小説でもその人物については深く掘り下げられていません。
そこもまた反対に意味を持つ気がして、面白いところです。
また、小説には映画では触れられていなかった、作品の引用やオマージュがわかりやすく解説されていて、映画とはまた別の楽しみ方が出来ます。
同じ筋書きの物語を、映画と小説それぞれの特性を最大限に活かして描ききっているのがこの作品の最大の特徴とも言えるでしょう。
特に映画では音楽、小説ではこの掘り下げた作品引用の点が魅力的です。
まとめ
映画リップバンウィンクルの花嫁は、怖い作品ではなくむしろ希望が込められた作品です。
しかしその内容は非常に味わい深く、様々な角度から読み説く事の出来るストーリーなので、是非一度あなたの目で観て感じてみてくださいね。