あなたは、徳川家康と聞いてどういうイメージをお持ちでしょうか?
江戸幕府を開いた人物というのは常識ですが、他にも沢山のエピソードがあります。
これから徳川家康について生まれや生い立ち、エピソード、家系図、子孫、墓の場所について、家族、ドラマ上での家康の役をやった俳優を書いていきたいと思います。
これを読むと、徳川家について、知らなかったことも知ることができます。
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徳川家康の子供の数は16人
子供の数については、実子が男女16人の子供がいたとされています。
猶子は1人
養子は21人もいたとされています。
有名なのは先ほど紹介した長男の徳川信康
そして三男の2代目徳川秀忠です。
他には六男の忠輝がいます。
家康には好かれなかったようです。
伊達政宗の娘と結婚して、92歳まで生き長寿だったそうです。
これだけ子供の数が多く子孫が反映していったのも何故でしょうか?
徳川家康には多くの側室がいて、出産を経験している女性が多く、その理由も不妊でない証であったのかも知れませんね。
次に徳川家康の家族についてですが、
父は松平広忠で、母は於大の方です。
正室は築山殿ですが、謀反の疑いのため、切腹を命じられたのですが、これを拒んだので、
討たれて命を落とすことになります。
豊臣秀吉の妹の朝日姫が後に後妻に入りました。
子供は長男が信康ですが、謀反の疑いのため、切腹させました。
しかし、切腹の理由は謎に包まれたままです。
徳川家康の現在の子孫は徳川家広!家系図もチェック!
現在の子孫について
現在の子孫ですが、有名なのが、徳川家広さんです。
1965年生まれです。
ベトナム人女性と結婚しています。
翻訳家であり、著述家です。
徳川家康の家系図
次に徳川家康の家系図についてチェックしましょう!
家康―秀忠―家光―家綱
\義直
\頼宣―光貞―吉宗―家重―重好
\家治
\宗武―定信
\宗尹ー治済―家斉―家慶―家定
\斉順―家茂
\頼房…………(略)………………斉昭―慶喜
家光
剣術が好きで、将軍家の指南役である柳生宗矩について学んだほどの腕前でしたから、夜こっそりと抜け出しては、腕試しにあちらこちらと出歩いていました。
ある冬の夜、また夜歩きに出かけようとして、草履を履くと、それが温かいのです。
いつも寒い夜の日には草履が温かいことに気がついた家光は不思議に思って、草履取りに聞くと、「酒井忠勝様が懐に入れて温めていらっしゃいます。」と答えました。
家光は老中酒井忠勝が自分の夜歩きを陰で尾行し、護衛していたことを知り、それからは夜歩きをやめたと言うことです。
吉宗
六尺もの身長で(六尺は約180センチ)、そのうえ力も人並み以上で、普通より思い鉄砲を抱え、それを持って、遠く離れた鳥を、狙い違わず撃ち落としたという話も伝わっています。
狩りに出かけたときの話ですが、吉宗が獲物を追って走り回っていたとき、足軽が担いでいた鉄砲の先が誤って彼の頬に当たってしまいました。
普通だったら、「無礼者!」となるところです。
足軽は大変なことをしでかしたと生きた心地もなく地面にひれ伏しました。
吉宗は当たりを見回して、役人のいないのを確かめると、「よし、今は役人がいないから、職業柄、おまえの無作法をとがめるやつはいないはずだ。
当てようと思って当てたのではないから許すぞ。」と言って、他の足軽の者たちにも黙っているようにと言ったと言われています。
慶喜
鳥羽・伏見の戦いでは幕府軍の兵力は薩長を主力とする朝廷軍の5000人に対し、15000人と圧倒的に有利でした。
しかし、最新装備の官軍と戦ってみると、幕府軍の士気は振るわず、そのうえ、淀藩と津藩の裏切りに遭い、総崩れとなって大坂に退きました。
ところが、慶喜は「自ら陣頭に立って、指揮し、反撃に出る。」と部下を欺き、喜んだ兵たちが持ち場についているすきに数人の者を従えて、城を抜け出し、大阪湾に停めてあった、軍艦開陽丸で、江戸に逃げ帰ったのです。
この裏切りによって、慶喜は幕府軍の支持を一気に失ってしまいました。
慶喜が逃げ出さなかったら、戦いはまだどうなっていたか分かりません。
徳川家康の墓の場所は二つ!骨の場所は謎に包まれたまま!
さて、次に徳川家康の墓はどこにあるでしょうか?
答えは2つあります。
静岡県静岡市にある久能山東照宮になります。
歴史に詳しくないと知らない人も多いかもしれません。
もう一つは、日光東照宮です。
日光東照宮は観光地としても有名ですし、多くの観光客が訪れます。
世界遺産ですし、修学旅行でも行った人も結構いるかもしれません。
墓は二つあるのは、理解できるのですが、実際に骨がどっちいに眠るか気になりますね。
久能山?日光?どちら?
墓は二つあることは事実です。
しかし、骨がどちらにあるかはわからないとされています。
最初に建てたのが、久能山
そのあとが、日光です。
ですので、墓の場所は久能山と日光なのですが、実際にどちらかに眠っているかはわかりません。
もしかしたら一部が久能山で、残りは日光という説もあります。
実際は墓を掘り起こさないとわからないと言われています。
ただ、確かめる事は不可能に近いでしょう。
もうこれは永遠に分からないテーマですね。
岡崎生まれの徳川家康!生い立ちについて!
生まれは愛知県岡崎市で、1542年岡崎城内で生まれました。
生い立ちは1549年に今川義元の人質になり、駿府で過ごしました。
14歳の時、駿府で元服しました。
1560年に今川義元が桶狭間の戦いで亡くなったので、岡崎城に帰りました。
徳川家康のエピソード
三方ヶ原の戦いで武田軍に家康は惨敗したのですが、城へ逃げ帰った家康は城の門を閉めないで、あかあかとかがり火をたかせました。
追撃してきた武田軍は城の中にはかりごとがあると、疑い、城を攻撃しないで引き上げたと言われます。
ドラマに出ていた俳優一覧もチェック
さて、徳川家康が、過去にドラマに出ていた俳優一覧をチェックしましょう!
- 津川雅彦・・・「葵 徳川三代」
- 役所広司・・・「関ヶ原」
- 内野聖陽・・・真田丸
- 阿部サダヲ・・・ おんな城主 直虎
- 寺尾聰・・・軍師官兵衛(2014)
- 濱田岳・・・信長協奏曲(2014)
- 高橋英樹・・・影武者徳川家康(2014)
- カンニング竹山・・・信長のシェフ
- 藤木直人・・・女信長
- 北大路欣也・・・江〜姫たちの戦国〜
- 松方弘樹・・・天地人(2009)
- 伊武雅刀・・・GOEMON(2009)
- 松平健・・・徳川家康と三人の女(2008)
- 中村獅童・・・茶々 天涯の貴妃(2007)
- 西田敏行・・・功名が辻(2006)
- 内藤剛志・・・太閤記〜天下を獲った男・秀吉(2006)
- 沢村一樹・・・国盗り物語(2005)
- 椎名桔平・・・敵は本能寺にあり(2007)
- 西郷輝彦・・・信長の棺(2006)
こういうみるとかなりの数の役者が徳川家康を演じていたのです。
まとめ
家康に関しては、私も知らないことがあって、勉強になったほどです。
これを書いていて、家康はいろいろなエピソードがあり、面白かったです。
これを読んだ皆さんに楽しんで頂けたら、幸いです。
ご覧頂きありがとうございました。