足利尊氏はなぜ逆賊扱いされた?家系図と現在の子孫もチェック!

私はこれから足利尊氏の生まれや生い立ちについて、エピソード、家系図や子孫、家族、ドラマに出ていた俳優、足利尊氏について評価できることなどを書いていきたいと思います。

そして何故、足利尊氏はなぜ逆賊扱いされてきたかにも触れたいと思います。

これを読んで、足利尊氏について知ってもらえたら幸いです。

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足利尊氏はなぜ逆賊扱いされた?

戦前は尊氏を評するとき、しばしば「逆賊尊氏」と言葉が使われていました。

江戸時代に書かれた徳川光圀の「大日本史」の中で本物の三種の神器の継いだ南朝側が正当であると言う説が正当であると支持されてからです。

明治の末期になると、南朝こそが正当であるという考えが広まって、北朝方の武将はことごとく悪くいわれるようになります。

その為、北朝側を擁立した足利尊氏は逆賊扱いされていたこともあります。

しかし、現在では南朝、北朝のどちらが正当であるという事はあまり論じられなくなりました。

ただ二つの朝廷が存在していたという歴史的事実です。

 

平成3年には大河ドラマ『太平記』でイケメン俳優の真田広之さんが主人公になり、一気にヒーロー的な扱いになります。

足利尊氏のイメージも大きく変わったのではいか?と私は思います。

今では、足利尊氏の評価も再認識され評価している人も多いのではないかと感じます。

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家系図について

ここで簡単に家系図をご紹介しましょう!

【足利氏家系図】
尊氏―義詮―義満―義持―義量
\基氏   \義教―義勝
\義政―義尚
\義視―義稙
\政知―茶々丸
\義澄――義晴―義輝
\義昭
\義維―義栄

義満

明との貿易には「日本国王」と名乗っていましたが、国内では天皇の臣下のうち、最も位の高い「太政大臣」についていました。

のちに義満の権威はますます進み、彼の夫人までが天皇の母に準ずる「准后」の地位に就きます。

義満の地位は一応臣下である太政大臣ですが、その実際の行いは天皇の父である上皇とか0法皇と同じもので朝廷のいろいろな儀式のとき、義満に対しては天皇も公卿もすべて太政法皇として、待遇しました。

一介の武士でありながら、義満は天皇の父親としての待遇を受けたわけです。

義持

十数年、飾り物の将軍として、父親に無視されてきたせいか、義満が死ぬと、父のやり方をすべてひっくりかえそうとしました。

まず、父義満に与えられた太政大臣の贈り名を受けることを拒み、北山に住むことさえも嫌い、義満が愛情を注いだ多くの建物を壊してしまいました。

さらに義満があれほど力を入れた明との貿易もやめてしまいました

義政

義政が東山の山荘を作り始めたとき、その工事費を作り出すのが大変でした。

というのは応仁の乱によって、将軍家の財源である御料所がほとんど守護大名などによって奪われてしまい、その他の税収入も入らなくなってしまったためです。

そこで義政は諸国の大名に臨時に工事費を出すように命じましたが、これに応じたのは2,3の大名だけで他の大名は知らぬ顔をして出しません。

仕方なしに義政は公家や寺社に応援を頼みますが、ここもあまり良い顔をしません。

ですから、義政の住む常御所ですら完成に1年半あまりかかり、東求堂にいたっては5年もかかりました。

銀閣はついに銀箔を貼ることなく、終わったわけですが、この銀閣という名も江戸時代になってからつけられたと言われています。

義昭

信長と義昭の仲が悪くなり、その後和解したときです。

信長は義昭に五ヶ条の条件を出しました。

信長は、有無を言わせず義昭にこの条件をのませてしまいます。

その条件とは

①義昭が諸大名に出す文書は必ず、信長が添え書きをつけること。

②義昭が今まで出した命令はすべて取り消すこと。

③幕府に忠義の働きのあった者に与える恩賞は適当な土地がないときは信長の領地のうちから分

け与えること。

④天下の政治を信長に任せた以上、義昭は信長の政治にいちいち口を挟まないこと。

⑤朝廷に対する儀式などのことは義昭が手抜かりなくやって欲しい。

この5ヶ条です。

義昭はこれによって、政権から全く閉め出され、将軍としての義昭の面目は完全に失われ、将軍とは名ばかりで飾り物に過ぎなくされてしまったのです。

現在の子孫について

足利尊氏の子孫と言われ話題性があるかたをご紹介しましょう!

そのかたが栄藤ひとみさんです。

実は、栄藤ひとみさんは舞妓さんになろうとしていた時期もありましたが、いじめにあい

デビューは叶いませんでした。

今は実業家として成功されています。

起業するために17歳の時に3千万の借金を背負ったそうですが、今は完済しているとのことです。

足利尊氏の生まれや家族について

足利尊氏は貞氏の長男として生まれます。

幼い頃は母方の上杉氏の元で成長しました。

生い立ちはこれくらいしか分かっていませんが、足利家は源義家から孫の義康から出た名門で、下野の足利荘を中心に関東各地に勢力を持った大豪族でした。

父は貞氏、弟は直義です。

直義は同じ母から生まれた1つ違いです。

最初は仲が良かったのですが、直義が高師直の主張を受け入れた頃から、兄弟の中が悪くなりました。尊氏は直義を戦いで破り、鎌倉の寺に直義を押し込め、毒で討取ります。

まとめ

足利尊氏について、ご覧頂きありがとうございました。

足利尊氏は征夷大将軍になり、権力も握りましたが、弟を毒で討取るなど、悲しい過去もあり、室町時代を生き残っていくのは並大抵ではなかったことが分かりました。

尊氏の評価できることは京都の宿所を「奉行所」と名付けて、諸国からはせ参じた武士の名を帳簿に記させ、その労をねぎらい、いち早く武士の心をつかんだことです。

逆賊扱いされた時代もありましたが、今は十分評価されているのではないか?

と私は考えます。

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