歴史

南方熊楠の息子や娘について!子孫の家系図や漫画も紹介!

あなたは、南方熊楠(みなかた くまぐす)という人物を聞いた事がありますか?

南方熊楠ってイマイチ何をやったかたなのか解らない!というのが本音か思います。

南方熊楠は、一回で読むには難しい名前を持つこの人物は「和歌山県が生んだ博物学の巨星」とも言われる人物です。

慶応2年である1867年、つまり江戸時代に生まれ、明治時代を生きた学者です。

明治という外国に行くのすら難しかった時代に、19歳からアメリカ・イギリスなどに留学しました。

そんな今でいう「エリート」のような南方熊楠は、息子や娘もいる一人の父親でもありました。

この記事では、南方熊楠だけではなく南方熊楠の息子と娘のことも紹介します。

また、子孫の家系図や漫画も紹介します!

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南方熊楠の息子や娘について!

南方熊楠の息子と娘は、息子が熊弥(くまや)・娘が文枝(ふみえ)といいます。

南方熊楠の息子、熊弥は1907年、南方熊楠の娘、文枝は1911年に誕生しました。

それぞれ長男長女で、ほかに兄弟はいないようです。

南方熊楠の息子、熊弥は産まれたさい「児を看て暁近くまで睡らず」と記されるほど、南方熊楠に誕生を喜ばれました。

旧制高校受験のため訪れていた高知市にて発作を起こします。

それは現在でいう統合失調症でしたが、当時はどのような病名か分かりませんでした。

昭和3年に京都の病院へ入院するまで南方熊楠は息子と共に過ごし、その様子を日記に記録していたものが残っています。

南方熊楠の娘、文枝は晩年の南方熊楠を母である松枝(まつえ)と共に支えました。

1941年に南方熊楠が74歳で生涯を閉じるまで、父の手足となったといいます。

その南方熊楠の娘である南方文枝は2000年に父である南方熊楠のもとへ旅立ったとされています。

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南方熊楠の子孫の家系図

南方熊楠には息子と娘のほかに妻、両親、兄、姉、二人の弟、妹がいました。

ですが現在南方熊楠の血筋として残っているのは三男の常楠(つねぐす)の家系のみとなっています。

なぜかというと、南方熊楠の息子と娘である熊弥と文枝には子どもがいなかったため、直系の子孫が途絶えたのです。

常楠の家系は南方熊楠の父が創業した「世界一統」という酒造を継ぎ、現在も和歌山県に本社を構えています。

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南方熊楠の漫画も紹介!

また、南方熊楠を題材にした漫画に「てんぎゃん-南方熊楠伝-」という漫画があります。

この漫画は1990年から1991年まで有名少年漫画誌である「週刊少年ジャンプ」に連載されました。

作者は「岸 大武郎」という漫画家で、この作品の前には「恐竜大紀行」という恐竜をテーマにした異色作を書いた漫画家です。

「てんぎゃん-南方熊楠伝-」は、バトル漫画全盛期であったジャンプの作風には合わなかったためか、連載時は全1巻で打ち切りになってしまいます。

しかし、あのジャンプの代表作である「ドラゴンボール」の作者鳥山明先生から「毎週欠かさず漫画をめくった」と言われるほど絶賛されました。

「てんぎゃん-南方熊楠伝-」の単行本は現在販売されていないものの、電子書籍として販売されています。

幼少期から青年期を描いている漫画のため、南方熊楠の息子と娘は出ていないかもしれませんが、漫画のため非常に面白く南方熊楠のことが分かるかと思われます。

他に南方熊楠を題材にした漫画としては、妖怪漫画の第一人者ともいわれる有名漫画化、水木しげる先生による「猫楠(ねこぐす)」があります。

この作品は南方熊楠本人ではなく、人語を解する飼い猫の猫楠(ねこぐす)を主人公として描かれた作品です。

この作品は秋篠宮文仁親王が読み、水木しげる先生に作品の感想を伝えたと言われています。

また、水木しげる先生はこの作品で紫綬褒章(しじゅほうしょう)と呼ばれる名誉な褒章を受章しました。

「てんぎゃん-南方熊楠伝-」も「猫楠(ねこぐす)」も南方熊楠を題材にした作品ですが、南方熊楠の息子と娘が出ているかは不明です。

ですが、漫画を通して南方熊楠を知れるため、非常に読んでみる価値のある作品だと思われます。

南方熊楠の結婚や妻は?

南方熊楠には息子と娘だけではなく、松枝という妻もいます。

松枝は鬪雞神社の社司である田村宗造の四女で、結婚をしたのは毎日友人と飲み歩き、荒れた生活を送っていた南方熊楠を見かねた友人のすすめがあったようです。

妻の松枝とは子どもをもうけましたが、娘の文枝が生まれる前に一度夫婦間がぎくしゃくし、松枝が実家に帰ったこともあったといいます。

そのさいは周囲がうまくとりもち、事なきを得ました。

南方熊楠のプロフィール

さいごに南方熊楠のプロフィールを記載したいと思います。

1867年5月18日紀伊国(和歌山)生まれです。

アメリカ・イギリス帰国後は和歌山県田辺町にて粘菌の研究をしていました。

1941年12月29日74歳でお亡くなりになられています。

著書に「南方閑話」や「南方随筆」、「十二支考」などがあります。

今回は南方熊楠について記載しました。

南方熊楠を知りたい方は、漫画などで知識を深めてみるのは如何でしょうか?

最後までお読み頂き有り難うございました。

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