歴史

井上勝(鉄道の父)の妻や子供について!子孫は?墓所や銅像もリサーチ!

普段から鉄道を乗る方も多いかと思います。

あなたはどうですか?

今回は鉄道に関する方のお話です。

世界の人から見れば、日本の鉄道はとても時間が正確であることをご存知でしょうか?

日本人ならば当たり前と思っていても、世界の人からすれば凄い事なんです。

そんな世界が誇る鉄道の礎を築いた人物が井上勝(いのうえ まさる)です。

鉄道の父とも言われ、通称は野村弥吉さんと言われていました!

長州ファイブの一人としても名高い人物です。

歴史的にはかなり貢献をした人物ですが、それ程ポピュラーでは無いんですね!

あまり知らない方もどんなかたかご紹介したいと思います。

本記事では鉄道の父と呼ばれる井上勝の妻や子供、子孫、そして墓所や銅像メインに解説していきます。

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プロフィールや生い立ち

まずは井上勝のプロフィールや生い立ちについて簡単に解説していきたいと思います。

1843年8月25日長州藩士の井上勝行の3男としてお生まれになりました。

伊藤博文が1841年生まれていますから、伊藤博文の2つ年下という事になります。

井上勝は、藩校明倫館で学びます。

黒船の来航がきっかけで、江戸の沿岸警備を命ぜられる事になり、江戸の勤務となります。

そこで出会ったのが、伊藤博文です。

その後は、長崎や江戸で航海術や洋学を学んだそうです。

その後、密航というかたちでイギリスに留学します。

そして、その留学費用もすごく高く、今の金額に直すと、1人1億円ほどの留学費だったそうですよ!

財政的にも大変だったでしょうが、やはり井上勝らに何か感じるものがあったのでしょう!

相当期待していたんでしょうね!

井上勝は、留学後ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンで鉄道技術、鉱山技術を勉強して、

苦労しながらもなんとか卒業したそうです。

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経歴について

学歴についてはすでに説明したとおりです。

次は井上勝の経歴について見ていきます。

日本に帰国後は鉄道づくりに邁進していきます。

なんといっても功績と言えば、明治5年には日本で初めて鉄道が開通した新橋~横浜間です。

実は初めての運行には明治天皇も乗ったと言われているエピソードがあります。

国有化を支持してきた井上勝さんですが、民営化を支持する渋沢栄一などと対立し

鉄道局長官を退官しています。

晩年、井上勝は、再び鉄道を勉強しようとロンドンに旅立ちます。

しかし、鉄道視察中にロンドンで倒れ、68歳でお亡くなりになっています。

高齢になってもまだ鉄道の勉強をする意識の高さは本当に脱帽します。

人間一生勉強なんですね!

井上勝は、日本の幕末から明治にかけて活躍しました。

井上勝は、井上馨や伊藤博文をはじめとするイギリスに留学した、いわゆる長州ファイブの一人とも言われています。

伊藤博文はのちの最初の内閣総理大臣として超有名ですね。

しかし、鉄道ファンならば井上勝は是非知っておきたい名前と言えるでしょう!

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妻や子供は?

さてそんな井上勝さんの妻や子供はいらっしゃるのでしょうか?

リサーチしてみました。

妻の名前は、宇佐子さんというかたです。

子供は4人いました。

男1人と女3人です。

長男は亥六さん。父に先立って、お亡くなりになりました。

長女は卯女子

次女は千八重子

三女は辰子というかただそうで、

それぞれ結婚しているようです。

子孫について

井上勝の子孫も気になりますね!

子孫の一人に、井上勝重さんというかたがいます。

ちょうど井上勝のひ孫に当たります。

現在は70代になられていて

東京都港区在住だそうです。

精力的に活動され、何度かマスコミにも登場されているかたです。

井上勝の銅像が再び東京駅に戻ってきたときもかなり嬉しそうでした。

銅像もリサーチ!

これだけ実績を残している人物なので、銅像も気になりますね!

個人的には渋谷のハチ公や上野の西郷さんなどを想像します!

銅像の場所は東京丸の内にあるそうですよ!

初めて造られたのが1914年。

その後、戦争があった為に残念ながら撤去されます。

1945年の終戦の14年後の1959年に再び建てられます。

しかし、駅の改修工事などがあって、また撤去されてしまったのですが、

2017年には、再び設置されています。

銅像がある場所は、「丸の内オアゾ」と「新丸の内ビル」などのお洒落なビルが立ち並ぶに近い所に移されています。

銅像が戻ってきてほっとしている人も多い事でしょう!

何度か撤去をしていますが、その度に復活しています。

鉄道の歴史は、井上勝なしには語れないという事が解ります。

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墓所について

井上勝の墓の場所も気になりますね!

住所は東京都品川区北品川の東海寺大山墓地。

この墓は、目黒川と東海道本線と山手線に囲まれ都会のど真ん中にあります。

沢庵、賀茂真淵の墓がやはり有名ですが、

一番奥の方にある井上勝の墓も見どころのひとつと言えます。

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旧宅も気になる!

萩市が生んだ生んだ長州ファイブである井上勝の旧宅は今も萩市土原という場所に残っています。

実は、建物今も人家として使われているので見学は不可です。

しかし、2006年により修復された旧宅門を見学する事が出来ます。

この旧宅門とJR萩駅舎内にある井上勝と鉄道に関する展示物を合わせて見学してみては如何でしょう?

まとめ

鉄道の歴史に詳しい方を除いて、井上勝という名前を聞いた事がある方は非常に少ないと思います。

ただし、その業績はとてつもなくすごいもので、偉業と言えます。

だから、鉄道の父と呼ばれているんです。

例えば、主な功績に、新橋駅(品川駅)~ 横浜駅間の開通があります。

いつも東海道線などを利用している人にとっては、電車を乗った際に井上勝のことを思い浮かべる方も本記事を読んだ方の中には出てくるかもしれませんね。

そして、あなたがいつも乗っている鉄道にも歴史上こういった素晴らしい方が影で尽力されていたという事を頭の中に留めておいていただければと思います。

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